PROFILE 映像温泉芸社についてなんとなく
映像温泉芸社について

 前世紀、娯楽系自主映画の上映会『ゴールデンエクストラフィルムショー』は、開催のたびに多くのファンを迎え活況を呈していた。その数は400人とも500人とも伝えられ、会場の周りには「芸社饅頭」や「元祖芸社煎餅」などを売る出店が主催者に断りもなく立ち並んだという。

 毎回多くの娯楽作品を主催者の進藤丈夫がかき集め、何時間にも渡る上映がオタク系男子の黒ミサのように行われた。
進藤は自分が面白いと思う作品しか上映しなかったが
、それが上映会自体のクオリティーを担保していたと言える。

 しかし、それがまた「面白い作品が集まらない限りはイベントを行えない」という状況を作り出してもいた。
 進藤は「だったら自分たちで作ればいい」の精神に基づき、ゴールデンエクストラ映像製作研究会を発足させた。参加メンバーは『ゴールデンエクストラ〜』の常連作家やボランティアスタッフが中心となっていた。映像作家を目指して上京した酒徳ごうわくの姿もその中にあった。

 しかし、映像製作研究会は進藤の期待に沿うほどの成果を挙げることはなく、『ゴールデンエクストラフィルムショー』も『ゴールデンエクストラ映像オクトパス』と名前を改めた後に開催した、のべ3日間にわたる総集編的大棚ざらえ上映会をもって自然消滅した。

 「ゴールデン〜」の終盤に映像製作研究会はその名を「映像温泉芸社」(「芸者」ではなく「芸社」)と改め、参加メンバー(社員と呼称した)の新作と招待作品の上映を中心に活動をなんとなく続けることになったが、主宰者を欠いての活動にはかつての大上映会の栄光は見る影もなく、芸社氷河期は中村犬蔵・星野佳世・河野亜紀・ミナミユーらの新社員参加までなんとなく続いた。

 以降、年に数回のペースでほそぼそとエンタテインメント系の自主映画(バカ映画率高し)やアーティストを迎えての興行をなんとなく行なっているが、続きはWEBで。

映像温泉芸社の歴史
そんなものはないので捏造中

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